第4回 「水五訓」の作者について

筆者:門脇 敏明

水のもつ性質を捉えた人生訓として水道界で広く知られている「水五訓」、「水五則」「水徳五訓」。その作者として、黒田官兵衛、太田道灌、王陽明、老子等々といわれているが、残念なことに判明していない。
ところが、高島俊男氏(たかしま・としお=1937年生まれ、東京大学院終了。中国文学専攻)の著書『お言葉ですが・・・別巻1 08年5月 連合出版発行』で“「水五訓」の謎”として、昭和四年二月発刊の雑誌『キング』に掲載された「大野洪聲の繪入教訓 水五則」が原型ではないかとの解説が加えられている。
その大要を紹介したい。

まず、水五訓として

  • 自ら活動して他を働かしむるは水なり
  • 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  • 障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  • 自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
  • 洋々として大洋を充し発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化し凝っては玲瓏たる鏡となり而も基性を失はざるは水なり

「障害にあい」、「汚れを洗い」と戦後かなづかいが二か所ある。「失はざるは」と正かなづかいが一か所ある。ゴチャマゼである。
この本文によるかぎり、筆者は戦後の人で、ただし新かな育ちではなく、時に正かなまじる世代の人である。 
王陽明という説があるそうだからつけくわえておくと、これは漢文を訓読したものではない。はじめから日本語で発想されたものである。「AはBなり」の形で、Aがむやみに長くてBがたったの一字という漢文はまずなかろう。王陽明だの老子だのというのは見当はずれである。
もっとも日本語としても少々変である。到底古文ではない。
近代の用語がいくつも出てくる。たとえば「蒸気」。これは江戸後期の蘭学者が翻訳用に作った語だが、一般に用いられるのは明治以後である。
それよりなにより、水が空にのぼって雲になったり、霞になったり、というが、小学校の理科で教わる知識だ。むかしの人は、空にうかぶ雲を見て、あれは地上の水が姿を変えたものだ、などと思いはしない。これだけでも黒田官兵衛なんぞと縁がないのは自明である。

さらに、「字」についても言及している。

「障害」という語が出てくる。昭和でも戦前なら通常は「障碍」もしくは「障礙」である。「障害」と書く人もあったが稀である。戦後「碍」「礙」の字が当用漢字から削られ、代替文字として「障害」と書くようになった。
また、各項のおしまいが「なり」だから文語文だと思う人があるかもしれないが、この「なり」を「である」になおせば現代口語文である。文語文と口語文とのちがいは「なり」が「である」に変わるだけ、という簡単なものではない。つまりこれは現代人が作って、文末に「なり」をくっつけるという幼稚単純な手口で文語文に見せかけたものである。

といった内容を「Web草思」07年4月号に掲載後、多くの方々から高島氏に関連の連絡があったとして、雑誌『キング』昭和四年二月号にその原型と目されるものが見つかったとある。

水車小屋の絵があり、左に現在おこなわれているものとおなじだが、これが原型だと思われるので、極力忠実に左にうつします。として次のように載せている。

繪入教訓 水五則

  • 自ら活動して他を働かしむるは水なり
  • 常に自己の進路を求めて止まざるは水なり
  • 障害に逢い、激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  • 自ら潔うして他の汚れを洗ひ、清濁併せ容る々の量あるは水なり
  • 洋々として大洋を充たし、溌しては蒸氣となり、雨となり、雪と變じ霰と化し,凝っては玲瓏たる鏡となる、而も其性を失はざるは水なり

大野洪聲

いわゆる水五訓の作者はどうやら昭和初年ごろにいた大野洪聲という人でありました。

長い間のつっかえが取れたような気がしますが、それにしても、「大野洪聲」とはどんな人物だったのか、こんごも関心を持っていきたいものである。

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