2024年から幹事として参加させていただいている、横浜市水道局の酒井です。当会の先輩が『第8回(http://mizuwokatarukai.org/shinsuido/2229/)』で「身近な水道」を取り上げていたので、私も横浜の「身近な水道」から、とっておきの3つをご紹介します。
~その1~
相鉄線「上星川駅」から西谷浄水場への坂道を登っていくと「川島町旧配水計量室上屋」が現れます。1914(大正3)年に建造されたレンガ造りの建物で、1998(平成10)年に国の登録有形文化財の指定を受けました。かつて、浄水場から横浜駅周辺・桜木町・元町方面への給水量を計測する施設として使用され、当時と変わらぬ姿で住宅地に佇んでいます。内部は非公開ですが、ベンチュリ―メーターが当時の姿のままに残されており、横浜水道の歴史を今に伝えています。外装の煉瓦や窓の鉄格子が特徴的な造りになっているので、仕事で西谷の山にお越しの際には、ぜひ近くでご覧いただければと思います。
外観 外装の煉瓦や窓の鉄格子が特徴的なデザイン
内部 ベンチュリ―メーターが記録用紙も含め残されている
~その2~
川崎鶴見臨港バス「貯水池前」下車すぐ、高さ約26メートル、外径8.5メートルの巨大な配水塔が目の前に現れます。1937(昭和12)年に、鶴見の高台に給水するために配水池と共に築造されました。現在は使用されていませんが、その脇で新しい配水池とポンプ場が稼働しています。地域から「ねぎ坊主」の愛称で親しまれ、「鶴見みどころ90」にも選定されるなど、区内外から遠望できるランドマークとなっています。市内に残存する唯一の配水塔で、周囲を囲う植物が四季折々の表情を見せてくれます。
鶴見配水塔 秋晴れに草木で覆われた給水塔が映える
~その3~
京急線「日ノ出町駅」から小高い丘を登ると「旧野毛山配水池」が姿を現します。フェンス越しに見える白いドーム屋根の小さな建物の地下には、かつて水を貯留していた配水池が残されています。1923(大正12)年の関東大震災で壊滅した野毛山浄水場跡地に1927(昭和2)年築造され、2001(平成13)年までの70年余り、横浜の中心部に給水を行っていました。内径約41メートル、深さ約6メートルで、震災の経験から地震に強い円形構造が採用されました。耐震基準を満たさないなどの理由で立ち入りはできませんが、石造りの門柱や波打つような門扉の意匠など、魅力的なデザインが今も人々を魅了しています。
旧野毛山配水池 白いドーム屋根の建物の下に円形の巨大な配水池が残る
入口 石造りの門柱や波打つようなデザインの門扉
築造時に掲げられた銘版 「清洌無窮(せいれつむきゅう)」清洌:水が清らかで冷たいこと、無窮:果てしないことを意味する
「横浜市水道局の歴史遺産」と題して趣のある施設をご紹介させていただきました。改めて横浜水道の施設に目を向けてみると、先人たちの見事な感性や細部へのこだわりに、感銘を受けるばかりでした。位置エネルギーを最大限に活用する横水水道の特性上、どれも健脚者向けの立地となっていますが、地元の方も、そうでない方も、これを機にぜひ一度立ち寄っていただければ幸いです。